
1960年代前後、手足や外耳の奇形を持った赤ちゃんが生まれたり、内臓障害による流産・死産が立て続けに発生したりしました。この原因は、当時、一部の胃薬や睡眠薬に含まれていたサリドマイドという物質で、妊娠初期に服用すると胎児の成長が妨げられます。世界的にサリドマイド製剤の危険性が警告された後も、日本ではサリドマイド製剤が販売され続け、被害が拡大しました。サリドマイド製剤被害者の子どもは出生直後から手術を受けたり、厳しい自立訓練に励んだりしました。また、見た目による差別やいじめもありました。日本では、子どもたちの親が国と製薬企業を相手に訴訟を起こし、和解をきっかけに薬事法が大きく見直されました。
1957 | ドイツでイソミン販売開始 大日本製薬が製造承認を受ける |
1958 | 「イソミン」販売開始 |
1960 | 「プロバンM」販売開始 被害発生(1960年代前後) |
1961 | レンツ博士による警告、ヨーロッパでの回収。日本はレンツ警告を「科学的根拠がない」として無視 |
1962 | 相次ぐ被害により日本でもサリドマイドの製造・販売を中止し、回収 |
1963 | 国と製薬会社を相手にした裁判の開始 |
1974 | 国・製薬会社との和解 |
2008 | サリドマイドが多発性骨髄腫の治療薬として承認 |
2012 | サリドマイドがハンセン病の治療薬として承認 |
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1. サリドマイド製剤事件の発生
サリドマイド製剤は、1957年に旧西ドイツのグリュネンタール社で開発された医薬品であり、その後世界中で販売されました。旧西ドイツでの販売開始からわずか3か月後には日本の製薬会社が独自に製法を開発・承認され、〝妊婦や小児が安心して飲める安全無害な薬〟という謳い文句でイソミン(睡眠薬)として販売が開始され、その後はプロバンM(胃薬)にも使用されました。
サリドマイド製剤の販売開始後、世界中で手足に奇形を持って生まれた赤ちゃんの報告が相次ぎます。1961年には、ハンブルク大学の小児科講師であるレンツ博士が、妊婦のサリドマイド製剤服用と赤ちゃんの奇形に因果関係がある可能性を警告し(「レンツ警告」)、ヨーロッパのすべての国でサリドマイド製剤の販売中止・回収が行われました。レンツ警告を受け、日本でも旧厚生省と製薬会社が協議を行ったものの、グリュネンタール社による「問題ない」という情報に基づいて、サリドマイド製剤の販売は継続されました。
しかし、日本においても手足に奇形を持った赤ちゃんが生まれていることがマスコミによって報道されると、1962年に旧厚生省はサリドマイド製剤の販売停止・回収を行いました。旧西ドイツでの回収から約9か月後のことでした。サリドマイド製剤の販売が続けられ、また回収が不徹底だったこともあり、日本でのサリドマイド製剤被害者の赤ちゃんは309名にまで達することになりました。
2. 裁判と科学者たちの協力
サリドマイド製剤による被害を受けた赤ちゃんやその親たちは、医師や家族といった周囲の人びとからの偏見に苦しむことになりました。また、四肢の不自由を補うための手術を受けたり、厳しい自立訓練に励んだりしました。さらに、見た目の問題から家庭内では「血の汚れ」などとみなされて親の離婚問題に発展したり、学校でいじめを受けたりしました。
しかしながら、かつてサリドマイド製剤の販売を放置し続けた国や製薬会社は被害者に対してなんら対応をとることはありませんでした。そのような中、サリドマイド製剤被害者やその支援者のグループが組織され、それと前後して被害者の一部は、1963年の名古屋地裁への提訴を皮切りに製薬会社や国を相手に訴訟を行いました。被告である国と製薬会社は、サリドマイド製剤と障害発生の因果関係を全面的に否定したため、裁判は長期化しました。サリドマイド製剤被害者の支援グループには研究者や医療の専門家も加わり、裁判の支援やサリドマイド製剤問題について社会へ訴えました。1969年には大阪大学工学部の杉山教授がレンツ警告に異議をとなえる「いわゆるサリドマイド問題に関する統計的考察」を発表し、被告である製薬企業側の証言台に立ったものの、その検証結果は学術的に否定されました。
国と製薬会社は、責任を認めないまま何度も和解案を出しましたが、1974年には、国と製薬会社は「因果関係と責任についてあらそうことをやめる」という声明を出し、原告との和解に至りました。この結果、提訴しなかった被害者にも補償金が支払われたほか、和解の条件として被害者の福祉のための施策が実施されることになりました。これにより、サリドマイド製剤被害者の福祉センターとして財団法人「いしずえ」が設立され、現在に至るまで被害者へのサポート活動などが行われています。
3. 薬事行政とのかかわり
サリドマイド訴訟は、薬害訴訟の先駆的な役割を果たし、判決を受けて薬事行政は見直しを迫られることになりました。1967年には、「医薬品の製造承認に関する基本方針について」という薬務局長通知が出され、承認申請に必要な資料の範囲の厳格化や、医療用医薬品の禁止などがなされました。しかし、薬事法そのものの改定は、薬害スモン事件後の1979年を待つことになりました。
サリドマイド製剤は2008年に多発性骨髄腫、2012年にハンセン病の薬として承認され、使用がTERMS(Thalidomide Education and Risk Management System)の厳重な管理の下におかれており、サリドマイド事件は決して過去の事件ではありません。新たな被害を生まないために、サリドマイド製剤被害の啓発やリスクの高い薬の管理システムが必要とされています。
参考文献
- 医薬品医療機器レギュラトリーサイエンス財団,2011,『知っておきたい薬害の教訓――再発防止を願う被害者からの声』薬事日報社.