薬害肝炎は、分娩や手術等で止血のために用いられた、血液製剤の一つであるフィブリノゲン製剤にC
型肝炎ウイルスが混入していたことで起きた薬害です。1964~1994年ごろ発生し、約1万人の被害者がいると言われています。アメリカではフィブリノゲン製剤の危険性が指摘され1977年には承認が取り消された一方、日本でフィブリノゲン製剤の使用が制限されたのは1998年になってからでした。2002年から国と製薬会社を相手にした訴訟が行われ、その責任が法的に認められました。2008年に議員立法により被害者救済の道が開かれました。
1964 | フィブリノゲン製剤の製造承認 |
1964〜 | 被害発生(1964〜1994年頃) |
1977 | アメリカで承認取り消し |
1978 | フィブリノゲン製剤の再評価すり抜け |
1987 | 厚生省がミドリ十字に対し、適応症を先天性低フィブリノゲン血症に限定するよう内示 |
1998 | 旧厚生省が、適応症を低フィブリノゲン血症に限定 |
2002 | 各地裁で訴訟提起 |
2006〜2007 | 各地裁で国・製薬会社の責任を認める判決 |
2008 | 肝炎対策基本法が国会で可決、成立 |
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1. 感染発生も対応がなされず
1964年、米国のライシャワー駐日大使が暴漢に襲われて負傷し、輸血を受けた結果、その血液からウイルス性肝炎に感染したことで血液の安全性が社会問題となりました。当時、輸血のための血液は売血でまかなわれていたため、同年に政府は血液の安全性を高めるため、輸血用血液のすべてを献血だけで賄う方針を閣議決定し、1974年には輸血用血液製剤はすべて日本国内の献血でまかなわれるようになりました。しかし、血漿分画製剤という、血液から必要な成分を抽出して製造するものについては多くの人の血液が必要となるため、海外由来の売血が用いられていました。
薬害肝炎の原因であるフィブリノゲン製剤は、1964年に承認されました。フィブリノゲンは海外でも用いられていましたが、1977年には米国のFDA(食品医薬品局)によって、ウイルス感染の危険性が高いこと、臨床効果が疑わしいこと、代替療法が存在することなどを理由にして承認が取り消されました。この情報は日本の製薬企業内でも知られていましたが、当時の旧厚生省には知らされていませんでした。
1987年、「フィブリノゲン製剤で妊婦が肝炎に集団感染した」という産婦人科医からの旧厚生省への報告をきっかけに、製薬会社は非加熱フィブリノゲン製剤を回収しました。しかし、この回収・廃棄により、事後に薬の汚染経路やウイルス量を調べることができませんでした。また、感染者のリストを旧厚生省に提出したものの、このリストは被害者に通知されることなく放置されていました。
製薬会社はフィブリノゲン製剤の回収と同日に加熱フィブリノゲン製剤の承認申請を行いました。旧厚生省は承認した一方、非加熱フィブリノゲン製剤の適応を先天性疾患に限定することを製薬会社に提示しましたが、産婦人科領域の団体が、適応症の範囲を限定することに反対しました。旧厚生省がフィブリノゲン製剤の効能を先天性低フィブリノゲン血症に限定したのは、1998年のことです。
旧厚生省は2000年、省内に「肝炎対策プロジェクトチーム」を設置し、2001年には血液製剤利用による肝炎ウイルス感染に関する実態調査に乗り出しました。この結果については2002年に「フィブリノゲン製剤によるC型肝炎ウイルス感染に関する調査報告書」で医薬品等の安全性に向けた取り組みが提言されました。
2. 被害者たちが立ち上がる
2002年になると被害者や遺族たちが東京・大阪で損害賠償請求訴訟を提起し、次第に各地で訴訟が行われました。訴訟の中心となったのは、十数年前の出産時にフィブリノゲン製剤を投与され、C型肝炎に感染した女性たちでした。女性たちの多くは、肝炎感染による差別や偏見、副作用の強いインターフェロン治療に苦しんでいました。女性たちの訴えに対し、彼女たちの子ども世代である若者たちも訴訟を応援し、街頭宣伝などを行いました。
裁判では、肝炎に感染する危険性が予見可能であったか、副作用を上回る有効性が本当にあったのかなどが争点となりました。また、製造承認や販売名の変更による再評価のすり抜け、米国での承認取り消し時など、国や製薬会社には被害発生を止められた機会が複数あったにもかかわらず、製薬会社への天下りや医学会との癒着により、フィブリノゲン製剤が販売され続けたことが明らかになりました。
2007年の国や製薬会社の責任を認めた各地での判決を受け、当時の福田康夫総理が議員立法による被害者一律全員救済の方針を示すと、2008年には、議員立法により、「特定フィブリノゲン製剤及び特定血液凝固第Ⅸ因子製剤によるC型肝炎感染被害者を救済するための給付金の支給に関する特別措置法」(薬害肝炎救済法)が満場一致で可決、国と原告の間で基本合意書が締結されました。議員立法による薬害被害者救済は、これが初めてのことでした。
同年、厚生労働省内に「薬害肝炎事件の検証及び再発防止のための医薬品行政のあり方検討委員会」が設けられ、薬害の再発防止などについて議論がなされ、2010年に最終提言がなされました。最終提言で提案された「医薬行政に対する「第三者監視・評価組織」の創設」を受け、2020年に「医薬品等行政評価・監視委員会」が厚労省に設置され、医薬品の安全性の確保や、薬害の再発防止のための監視機関の役割が期待されています。
参考文献
- 医薬品医療機器レギュラトリーサイエンス財団,2012,『知っておきたい薬害の教訓――再発防止を願う被害者からの声』薬事日報社.
- 日本公定書協会,2011,『知っておきたい薬害の知識――薬による健康被害を防ぐために』じほう.