
薬害エイズは、1980年代、非加熱の血液製剤を使用した血友病(出血を止める凝固因子が生まれつき不足している病気)患者を中心として発生した、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)感染です。当時、血液製剤の原料となる血液にウイルスの感染力を失わせる処理がなされなかったことで、HIVが混入したことが原因でした。安全な加熱製剤が認可された後も日本では非加熱製剤が使われ続け、血友病患者ら約1400名がHIVに感染しました。1989年から国と製薬会社を相手にした訴訟が行われ、1996年に和解しました。
1970’s | 非加熱製剤の承認(1970年代末) |
1980’s | 被害発生(主に1982~1985年頃) |
1983・1984 | アメリカで加熱製剤の承認 |
1985 | 日本初のHIV陽性者がみとめられる 日本で加熱製剤の販売承認 |
1988 | 衆議院社会労働委員会で「血液製剤によるエイズウイルス感染者の早期救済に関する件」が可決 |
1989 | 東京/大阪HIV訴訟原告団・弁護団による提訴 |
1996 | 国・製薬会社との和解(1996) |
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1. 非加熱製剤の登場とHIV感染
血友病は、生まれつき血液中の凝固因子(出血を止める因子)が一部欠けている病気であり、出血しても血が止まりにくいという症状があります。出血を止めるためには、この凝固因子を補充する必要があります。血液製剤が登場する以前は「大人になるまで生きられない」と言われるほど重篤な病気であり、出血後には病院で輸血を行う必要がありました。血が止まるまでは、軽い出血であっても「地獄のような痛み」を経験していました。
しかし1970年代になると、非加熱濃縮血液凝固因子製剤(非加熱製剤)が登場し、血友病者の生活の質が大きく向上します。また、病院に行かずとも定期的に自宅で血液凝固因子製剤を補充することができるようになりました。
しかし、この非加熱製剤は、海外での買血によって入手した血液を原料として用いていました。このために、日本が購入した血液には、1980年代頭から米国を中心に蔓延していたエイズ(後天性免疫不全症候群)の原因であるHIVが混入していました。この血液製剤の製造過程でウイルスを不活化するための加熱処理を行っていなかったために、血液製剤を利用した血友病者たちの多くがHIVに感染しました。 1985年には、肝炎などの感染を防ぐために開発された加熱製剤が日本で承認されたものの、一方で非加熱製剤を使い続けたため、血友病者のHIV感染者は増加し続けました。1996年の旧厚生省の調査では、約4,000~5,000人の血友病者のうち、1,771人がHIVに感染し、うち418人がエイズを発症していることが明らかにされました。
2. 血友病者たちのたたかい
1980年代当時、エイズは「死の病」ととらえられており、1987年には女性のHIV感染者に対する報道過熱を発端に「エイズパニック」が発生しました。HIVに対する社会の無理解や偏見のため、血友病者たちは学校や会社での差別に直面したり、感染に関する適切な告知がなされなかったりなどの苦しみを受けました。また、当時は有効な治療薬も開発されていなかったため、なすすべもなくエイズを発症して亡くなっていく血友病者も多くいました。こうしたなか、1988年に「血液製剤によるエイズウイルス感染者の早期救済に関する件」が衆議院社会労働委員会で可決され、同年12月にはエイズ予防法が成立しました。しかし、公費負担が低額であること、「救済」ではなく「補償」を求めたいといった理由から、1989年に感染者である赤瀬範保氏や石田吉明氏が国や製薬会社を相手に訴訟を提起しました。次第にHIV感染した血友病者たちによる大規模な訴訟となりましたが、当時はHIV・エイズに対する偏見が強かったことから、多くの原告は匿名での訴訟に参加しました。HIVに感染した血友病者は子どもや若者が多く、彼らと連帯した若者たちが旧厚生省前でデモを行うなど、大きな社会現象となりました。
1995年には裁判所の和解勧告があり、1996年に和解が成立したことで国と製薬会社の責任が認められ、当時の厚生大臣がエイズ訴訟原告団と支援者に謝罪しました。また、刑事事件として、「人間の命よりも営業利益を優先した」として非加熱製剤を販売した製薬会社の歴代3社長と、行政として行うべき対応をしなかった旧厚生省の行政官も有罪判決となりました。また、非加熱製剤を使用し続ける決定をしたエイズ研究班の班長も起訴されましたが、一審では無罪、その後死亡により控訴棄却となりました。
3. 判決後のとりくみ
1996年、薬害エイズ事件の教訓を血液行政に活かすため、旧厚生省に「血液行政の在り方に関する検討会」が設けられました。この検討会における検討結果を反映し、血液製剤を含む生物由来製品の安全性などを確保するため、薬事法が改正されました。
また、判決を受け、HIVに対する薬として米国で開発されたプロテアーゼ阻害剤が承認されるとともに、多剤併用療法が確立したことにより、エイズは不治の病から慢性疾患となりました。薬害エイズは、感染症対策における人権の尊重という考え方にも強く影響を与えており、1998年に「エイズ予防法」「性病予防法」「伝染病予防法」を統合して成立した「感染症新法」の前文には、「我が国においては、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である」と記されています。
参考文献
- 医薬品医療機器レギュラトリーサイエンス財団,2012,『知っておきたい薬害の教訓――再発防止を願う被害者からの声』薬事日報社.
- 日本公定書協会,2011,『知っておきたい薬害の知識――薬による健康被害を防ぐために』じほう.
- 山田富秋,2011,『フィールドワークのアポリア――エスノメソドロジーとライフストーリー』せりか書房.